
夏の終わり、私は一人旅に出た。一泊二日の小さな旅だが、山間にぽつり立つそのホテルは、
夏の間の喧噪を一掃してくれるような静けさの中にあった。
通された部屋から見る景色は、私の心を更に解放してくれるものだった。
窓からは山々をぬって穏やかな海が僅かに見え、時間が停止しているかに見えた。微かに白く
立つ波が時の流れを感じさせてはいたが、それがかえって私の中の時が止まっている証のように
も映った。ふと、一幅の絵を想起した。中村岳陵の『晴れし海』と題された日本画だ。
その絵を見たのは三年ほど前のことだった。私の文学の師が急逝し、深い寂しさの中にいた時、
たまたま『山種美術館』で巡り会ったのだ。ちょうどこの窓からの風景に似て、岩が立ち並ぶ向
こうに微かに海を臨む風景画であった。その海の色彩に何故か生の喜びが感じられた。その喜び
はやがて、師が生前常々口にされていた「書き続けることですよ」という言葉を蘇えらせた。窓外
の風景を見つめながら、私はまた、その言葉を思い出していた。
お風呂から出、思い出したように窓の外を見ると、そこはすでに漆黒の世界であった。煌々と
照る部屋の電灯を背にして闇を見つめると、その中に吸い込まれてゆく錯覚にとらわれた。急に恐
怖感が背後に押し寄せてきた。この恐怖感はかつて子供の頃味わったそれに似ていた。私はふと忘
れかけていた恐怖を思い出していた。恐怖を味わいたいのではなかった。ただそれを思い出すことで、
私自身の心の中を整理する期待があったのかも知れない。そう言えばかつてこの恐怖を題材に作品を
書いたことがある。題名は「聞こえてくる驟雨」であった。詩集のタイトルにも使ったものだが、
この作品を書いたとき私は、どこまでその恐怖を掘りおこせたものだろう。その恐怖は決して呼び
寄せようとしたものではなく、「自分が生きている」ことを感じたとき決まって押し寄せてくるので
あった。不安は周囲の音をかき消してひたすら降る驟雨のような耳鳴りを起こし、小さかった私の心
に焦燥と絶望にも似た恐怖心をかきたてたのだ。それは、私にとって誰にも説明できるものではなか
った。ただ、耳を押さえ意味のない声を出し耳鳴りが消えるのを祈っていた。そういえば、私が初め
てあの驟雨の音に悩まされたのは、ある青年の通夜であった。小学生であった私は初めて人の死を
目の当たりにしたのだ。浴衣を着せられて横たわるその人の顔は血の気がなく蝋のようで、手は胸の
あたりで合掌し、土地の風習なのか揃えられた足は膝を立てていた。死を理解できないでいた私は、
ただ恐怖におののきながら、上がり口の隅でうずくまっていた。せわしく立ち働く大人達は、声をか
けてくれる人もなかった。うずくまっていた私は、神経がたち騒ぐような寂しい音をこのとき初めて
聞いたのだった。見上げると外は漆黒の闇であった。死者と闇の空気に挟まれた私は、自分の心が非
常に寒く感じられて動くことが出来なかった。窓外の闇はあの時に似た深さを感じさせていた。
心の闇は多かれ少なかれ誰でもが持っているものであろうが、幼い心にも寂しい秘密を抱えてし
まうことがあるようだ。誰にも分かってもらえないこの寂しい音はいつも私の心の何処かにあった。
やがて、それが詩作するきっかけとなっていったのであろう。私の詩を書く出発点は自分への平安を
求めてのそれであったといえよう。だから、詩は私の長い友なのである。
ホテルのレスランでは家族連れや仲間同士のグループの姿が見うけられた。一人旅の私を寂しい
ものと見る人がいたかもしれないが、セピヤ色をした幼い日々の出来事を思う存分慈しむことが出来
たこの旅は、決して寂しいものではなかった。むしろ、喧騒の日常の中で忘れていた贅沢な時間をす
くいあげたような気さえするのであった。
窓ガラスの向こうには、いまでも漆黒の海が広がっていた。

