こむぎのワルツ
    
ぼくは子犬

生まれはわかりません

ある会社の庭園に捨てられていたのです

ひもじくて さびしくて わけがわからなくて

兄弟三匹で鳴いていた記憶があります


三匹のうち一番ちびのぼくは他の兄弟にいじめられ

尻尾をかまれ さびしい毎日でした

お母さんのにおいに似ていたのかな

沈丁花の香りがする青年の後を

いつまでも追いかけていたのです

その青年こそ

ぼくの主(あるじ)となった人でした

お父さんと呼ぶべきでしょうか

でもどう見てもお兄さんでした


やがて兄弟は他の人に貰われたようです

ぼくの傷ついたしっぽは腫れたままで

ある時お兄さんはぼくを医者につれていってくれました

ぼくはそれ以来さびしさが消えました

その時からお兄さんの匂いが

ぼくの記憶になって全身を包んだのです


今もって噛み付かれた後遺症で

しっぽの毛はふぞろいですが

小麦色の毛色をしたぼくを

お兄さんは「こむぎ」と命名してくれました

ぼくは全身小麦色に覆(おお)われた「こむぎ」です


お兄さんが勤めに出ている間

部屋での遊び道具はティシュ箱がです

ティシュを摘んではじゃれていると

部屋は雪景色のように白く広がり

ぼくは木漏れ日に戯れるように

ワルツを踊るのでした

もちろん踊るぼくの姿を誰も見ていません

残骸のようになった部屋を見る度に

お兄さんはため息をついておりました


ぼくの祖先もこんなに人が好きだったのでしょうか

お兄さんとぼくは二人ぼっちです


ぼくはときどきお兄さんの寂しさを拾って食べて

朝寝坊の顔をなめまわしては起こします

うるさがってはいるようですが

全身でぼくをかわいがってくれるのでした

どうもお兄さんは人間界の女性より

感情を素直に表現できるぼくが好きなようでした


先日お兄さんの実家に行ったところ

老夫婦が喜んで迎えてくれたて

そこにも同じ寂しさが落ちていました

ぼくは拾いきれないなと感じました

帰り際老婦人がぼくに餌代と言ってお足をくれると

お兄さんは「こむぎ  おれいを」といったので

ぼくは「くん」と鳴きました


きっと先祖の犬族は人の寂しさを一杯拾ってやったから

人たちは可愛がってくれるのでしょう

それからしばらくして僕は

老夫婦の家の子になりました

その家には仏壇がありました

この家には先代の犬が何匹かいたようなのです


ぼくは自分の顔は分からないから

老夫婦の話によるとお兄さんに似ているらしい

ぼくは夫婦の落とす寂しさを拾い

三人ぼっちのコミュニュケイションを取るのに

手一杯の毎日になりました


そして今日もまた

ぼくは「こむぎのワルツ」を踊るのでした



          


高安ミツ子