随筆
                  小さな逸話                                                       
                                                                              
                           

   作家スタンダールは「人がこの世にあるのはお金持ちになるためではなく幸せに

 なるためだ」と言った言葉を残したそうです。確かにそうだと私も思います。

 しかし、幸せ感は人それぞれでしょう。私の場合は絵を眺める時が一番幸福を感じ

 る時です。むろん美術館で眺める絵も好きですが、家にあっては、月ごとに床の間

 に掛け軸や色紙を飾り変える時が至福のひとときです。これらの絵はほとんど無名

 の画家のものであったり、複製であったりですが、無名有名はわたしにはさほど意

 味がないです。これらの絵からは季節感が感じられ、平凡な日常を送る私の心を癒

 してくれます。この癒しの中にいられることが幸せを感じるのです。

  我が家には、生前の義父が趣味で絵を描いていため、沢山の油絵があります。

 義父と絵の話をすることは楽しいことの一つでした。義父は青年時代、絵かきにな

 りたいと思い、美術学校に行きたいと父親に頼んだところ、父親は「おまえは絵乞

 食になるのか」と言われ絵の道はあきらめ博物の教員になったそうです。今で言う

 生物の教師です。ですから、義父は油絵を趣味にすることにしたようです。教員時

 代イーゼルを持って写生に行く姿に誘発された一人の学生がおりました。その学生

 は後に山下充という著名な画家になられたと聞きました。義父の絵の手法は石井柏

 亭系の絵でした。私は、衒(てら)いのない義父の絵が好きでした。

  そういえば義父が思い切って購入した思い出の日本画が我が家にあります。その

 作品名は「鉗春」(かんしゅん)といい、作者は若木山(わかぎたかし)です。若

 木山は横山大観の外弟子でしたが、大観にその人柄を気に入られ内弟子になったそ

 うです。絵が好きな義父は、現職時代千葉市の土気にあるさる古刹の境内に仮寓し

 ながら「海女」の絵を描いていた若木山のアトリエを、どんな巡りあわせかは知り

 ませんが、足繁く訪ねていたようです。その後、私の夫高安の詩集「母の庭」の表

 紙に使わせて頂こうとそのお住まいを訪ねましたことがありました。当時奥様が御

 存命で、嘗(かつ)て訪れた義父のことを良く覚えていらっしゃいました。うっそ

 うとした林の中にある茶室で奥様が若木山の描いた色紙を見せてくださいました。

 本人の希望で作品のほとんどは千葉県立美術館に所蔵されていると話されました。

  熊本県生まれの若木山は昭和十八年召集され、満州に渡り、終戦後シベリアに抑

 留されたそうです。そこで捕虜生活を送られ、昭和二二年に帰国されました。捕虜

 生活という苦労をされた方でしたが、我が家にある『鉗春』(かんしゅん)の絵は、

 抑留の苦労など感じさせない、真っ盛りの春の様子が力強く表現されています。

 モクレンや椿が画面いっぱいに描かれその構図や色彩は実物の春の風景よりも眩し

 く感じられます。色彩とその造形には迫力があり若木山独自の世界が伺われます。

  この絵の購入には我が家の小さな物語があります。

 毎度アトリエを訪ねているうちに義父は若木山の絵を購入したくなりました。

 しかし、最初は画廊がついているので作品は売れないという話でした。どのよう

 な経緯があったかはわかりませんが、義父はこの絵をなんとか購入することがで

 きました。

 しかし、義父の薄給で絵を購入することは大変なことでした。義母に渡す給料は

 当然少なくなり生活を工面する義母は反対すると思ったのでしょう。そこで義父

 は内緒でこの絵を購入し、飾ることなく家の中に隠してあったようです。ある年

 の正月、教員の同僚が訪れてきて「あの絵はどうしましたか」と聞かれ、その一

 言で隠していたことが露見したということでした。結局義母には事後承諾となり

 ました。義母もこの絵に心を動かされたのでしょう。その為に特にもめたという

 ことは聞いておりません。義父はますます嬉しくなり、ちょっと得意げに購入経

 緯を義母に話したそうです。当時の生活の大変さを考えると、暗黙のうちに事態

 を飲み込み、動じなかった義母の度量の大きさを感じました。到底私はかなわな

 いと今でも思います。

  義母は子供のころ母親に「働くことは中間(ちゅうげん)小者(こもの)のよ

 うに、気位は加賀百万石の殿様のように」と言われて育ったようです。ですから

 義母は働き者で、生涯心の品位を重んじる姿勢を貫くようになったのでしょう。

 義母のこの精神を私も見習いたいと思ったものでした。そんな二人の思いが我が

 家の小さな逸話になり、今もこの絵「鉗春」を包んでいます。見るたびに義父母

 のことが無意識のうちに思い出されます。そして、義父母に出会えたことは、改

 めて私を幸せな思いにさせてくれるのです。これもやはり絵画鑑賞に幸せを感じ

 ることの恵みかも知れないと思っています。


                   


(鉗春)
日本画家 若木山

高安ミツ子