昨年の夏、思いがけなく道路わきの雑草の中に立葵が咲いているのを見かけた。

立葵は芙蓉に似た花で、かっては、どこの家の庭にも咲いていた万葉植物である

が近来、ほとんど姿を見かけなくなっている。忘れていた花が目前に白、赤、桃

色の群れになって見えてきてから、懐かしさと驚きが重なった。私は、思わず「よ

しおの花」とつぶやいたものだった。

 「よしお」とは私が子供の頃、訳があってしばらく我が家で預かった男の子であ

った。アルバムにはられているつぶらな瞳の「よしお」の写真を私は、思い出し

た。写真の中の「よしお」の右手は包帯で巻かれ、左手にはミルクキャラメルを

持って、嬉しそうにキラキラした目で笑い、今にも話しかけるようなポーズでと

てもかわいく写されている。右手に包帯とは、「よしお」がままごと遊びをして

いて、茶わんを持ったまま転び、割れたかけらで手首を切ってしまい治療したた

めである。手首から血があふれだした時、母は血相を変えて「よしお」を抱きか

かえ、物もいわずに医者に駆け出して行ったそうだ。預かっている子供に怪我を

させては申し訳ないという思いの一身だったそうだ。医者の帰りに母に買っても

らったキャラメルを嬉しそうに持ったスナップ写真には母の安堵感をみるような

「よしお」の笑顔であった。

 そもそも、「よしお」は3歳ぐらいのときから我が家に住むようになった。

色白で眼が大きく澄んでいて、ひとなつこい微笑はおもわず微笑返しをしたくな

るような聞き分けのある子であった。父は良く

「幼い頃のお前達に比べ聞き分けがあって利発な子だ」

と口癖のように言っていた。父は内心聞き分けがありすぎる「よしお」を不憫に

思えたようである。幼い「よしお」は家族のひざの上を渡り歩いた。特に父の大

きなひざは座りごこちが良いようであった。「よしお」は一番母のことを慕っていた。

「おばちゃん、おばちゃん」といって姿が見えないとすぐ捜して歩いた。母も我子

のように可愛がっていた。「よしお」は我が家の遠い親戚にあたる、通称「なが姉

ちゃん」と呼ばれる人の子供であった。「なが姉ちゃん」は病弱で子供を産める体

ではなかったという。ご主人の高橋さんが養子として連れてきたのが「よしお」で

あった。「なが姉ちゃん」は病弱で臥せっていることが多かった。高橋さんはダム

を作る現場で働いていたので定住する事が出来なかった。そのため、病弱な「なが

姉ちゃん」は「よしお」と共に療養がてら生家に帰っていたのである。「なが姉ち

ゃん」に会う度に子供心にとても美しい人に思えた。当時周りで、指輪をしている

人は見かけなかったが、日替わりで、白い指先にアメジストや真珠などの指輪をし

ているのを見ると何かまぶしく感じた。私といとこに指輪を外して「はめてみる?」

と聞いたことがある。

「ううん」と首を横に振って断ったが、私達が興味を持ってながめていたので、

そっと外してかわるがわるの指にはめてくれた。そんな時、何か現実とは違った

お話の世界の王女様になった気持ちになった。こんなきれいな宝石を持っている

人だからきっと病気は治る筈と訳の分からない理由をつけて自分に言い聞かせて

いた。

 私は中学に通うようになり、「なが姉ちゃん」の所にも足が遠のいていた。そ

んなある日、「なが姉ちゃん」の死を知らされたのである。葬儀が終り、ご主人

の高橋さんは仕事のこともあり、もう少し「よしお」を預かって欲しいと生家の

方々に頼んようだが、今まで長い逗留だったので断られたようである。そのため、

「よしお」を連れて帰るということを聞きつけたを母は、父に相談して

「しばらく預かりましょう」

と言う事になった。きっと母は自分が幼くして父親を亡くしたことに重なる部分が

あったのでしょう。母は、二人が乗って帰る予定のバス停まで「よしお」を迎えに

走っていった。秋の日差しの中を走る母はバスが遅れて来ることを願ったという。

母は高橋さんとどんな話をしたか知らないが、二人の数分間の出会いから「よしお」

は我が家で暮らし始めた。私達にもなついて、かわいがられることを無意識に知っ

ているような子供だった。

 ある晩、当時映画サークルというのがあり、小学校で公開される映画を見に

父と母は出かけて行った。普段「よしお」はぐっすり朝まで眠るはずであったが、

たまたま目を覚まし母がいないことに気づくと「おばちゃん おばちゃん」と泣

き出した。私と弟であやしてみたが、その時は泣き叫ぶばかりであった。困った

私は、「よしお」を背負い弟が話しかけるようにして

「おばちゃん、帰ってくるかどうか見に行こう」

と外に出た。この時、暗闇を飛び交う蛍を見た。やがて、背中で泣きじゃくりなが

ら眠った「よしお」と音もなく舞う蛍のか弱い点滅に私は無性に淋しさを感じた。

今思えることは、闇に光るか弱い点滅に「よしお」の数奇な運命を重ね無意識に言

葉にならない淋しさを感じたにちがいない。

 「よしお」は「立葵」の花が好きだった。それは遊び道具になるからであった。

「立葵」の花びらを取って1枚ごと花びらを途中まで裂いて鶏のとさかのように

顔につけてやると、「よしお」は顔中「立葵」の花びらだらけになって喜んだ。

「よしお」のおもちゃになった「立葵」を私は「よしお」の花と命名していた。

やがて、高橋さんが「よしお」迎えにくることになった。弟は自分のおもちゃを

「よしお」のリュックに詰めることで別れを納得しようとしていた。「よしお」

は上機嫌であった。母が「よしお」の手を取って父親をバス停まで迎えに行った。

今まで母でなくてはならなかった「よしお」が父親の姿を見ると母の手を振りき

って飛びついて行ったという。母は「やはり親子ね」と少し淋しそうな顔をして

いた。父は「よしおは高橋さんの本当の子供だろう」とつぶやいた。私はこの言

葉を聞いたとき、アメジストの指輪をした「なが姉ちゃん」を思い出した。あの

紫色の輝きは何も知らないふりをした「なが姉ちゃん」の哀しみのように思えて

きた。

 その後、「よしお」の消息は時間と共に絶えてしまった。

「高橋さんはきっと再婚したのだろう。よしおが幸せだといいんだが」

といっていた父もそして母も他界してしまった。長い時間の向こうの出来事であ

るが、立葵は忘れていた記憶の蔦を手繰るように感じられた。やがて、記憶は映

像になり、たった一人の観客の心に「立葵」は夏の光を浴びて鮮やかに咲いていた。

鮮やかに咲く程「よしお」が幸せであるように思え、足下に落ちている種を拾い持

ち帰ることにした。来年は我が家の庭に「よしお」の花を見事に咲かせてあげたい

と思ったからである。
   
                                     

(たちあおい)

立葵

高安ミツ子


 写真撮影:青木繁伸