思い出の絵画                高安ミツ子               


   

 

                             

 

庭の花々の世話で飽きることのない日常を過ごしていますが、先が見えないコロナ禍の

三年間は内省することが多くなり、そのうえ老いへの更新は止まることがありませんでし

た。日々私のどこかが削られていく思いがありました。私の立ち位置から考えても未来を

想像することより、過去の時間が多い所以でしょう。年齢を重ねた特権でしょうか数々の

思い出が蘇ってくるのです。自己の感傷かもしれませんが、一枚の写真のように心の底か

ら浮かび上がってくるのです。それは一種の懐かしさをさ迷い歩くような思いにもなりま

す。 
 日常の合間に、季節の彩の合間に、私の心模様によっても思い出は蘇ってくるのです。

私の心が漠然とした寂しさを感じるとき蘇る一つの絵画があります。日本画家横山操(よ

こやまみさお
)が描
いた「瀟湘八景」(しょうしょうはっけい)そして「越後十景」です。確か国

立近代
美術館で開催された「横山操」展で見た絵画でした。もともと「瀟湘八景図」は中

国の
禅僧画家牧谿(もっけい)が、中国の瀟湘地方の風景八枚を巻物として描いたものです。

牧谿の水墨画は鎌倉時代の末期に日本に渡ってきたようです。室町幕府の足利家は美術品

の収集をしたり、一芸一能に優れた人を阿弥と称する芸術家集団をつくったり、有能な人

を抱え込んだりしました。そんな尊氏のもとに中国画家牧谿の絵が持ち込まれました。尊

氏は絵巻物「瀟湘八景図」を切断し大きな掛け軸に直し自らの落款を入れて所持していま

した。牧谿の水墨画はやがて日本の禅僧による水墨画として発展していくわけです。

「瀟
湘八景図」は足利から朝倉、そして織田信長の手にわたり信長は家臣に「瀟湘八景図」

分け与えたようです。「瀟湘八景図」は時の権力者を渡り歩いた訳です。そして徳川の

になり八代将軍吉宗が「瀟湘八景図」に興味を示し、各大名家に散らばっていた「瀟湘

景図」を狩野派の絵師に模写させ、それらを巻物の形に再現しました。こうして歴史の

で翻弄された「瀟湘八景図」が曲がりなりにも元の形に戻ることができたわけです。

 後年、近江八景(琵琶湖周辺)や横山大観、横山操等が「蕭湘八景」を描いているよう

に「瀟湘八景図」は日本の画家たちに大きな影響を及ぼしたことが伺われます。

横山操の初期の絵は大きく荒れ狂ったような表現でした。後年、水墨画を描くようにな

と絵画の雰囲気が一転します。横山操の「瀟湘八景」とは横山の心象風景であるのでし
ょう

か。一気につながる故郷ではなく、その感情は曲線のように揺れ動きその彼方にある
故郷の

越後を描いたのではないかと思われます。故郷越後の風景に、
牧谿の描いた絵と同じ題名の

「瀟湘八景」を描いたのです。これに更に二点を加え「越後十景」を描きます。

 私はこの絵を見た時、絵の前から動くことができませんでした。確か和紙を使っていたよう

に思える絵画でした。墨の濃淡、光の微妙さ、そして雨、漁村、日本海の寂しい雰囲気が胸

に迫るものがありました。私は絵が泣いていると思いました。

その時、ふと思い出したことがありました。以前荒川法勝先生が「君たちは悲しいと記し

ているが書かれている作品が泣いていないですね」と話されたことがありました。作品が泣

くとはどういう意味か私には理解できませんでした。横山の絵を見て「作品が泣く」とは、

このようなことだと知らされたのです。後日横山と盟友であった日本画家加山又造が「横山

の絵は泣いている。俺には描けない」ということをテレビで話しているのを見たことがあり

ました。あの時私が感じた思いは絵の力であったと認識したのです。それは技術力を踏まえ

画家の内面から溢れてくるものだろうと思いました。横山は不義の子として生まれ、実母は

強制的に他家に嫁がされます。横山は養子に出され、その養子先の母親もなくなり孤独の中

一四歳で故郷を捨て上京しました。ですから故郷への思いは複雑なものであったと思います。

更にシベリアにも抑留され捕虜生活という辛酸な体験後、三十歳で帰国します。数々の苦労

を重ね、やがて熟成された精神の在処(ありか)としてたどり着いた世界が抒情性のある

「蕭湘八景」や「越後十景」を描かせたのではないかと勝手に推測しています。日常の中で

ふと寂しさを感じるとき「越後十景」が頭をよぎります。「越後十景」は既に多くの人に語

りつくされたことでしょうが、私の心の底には影のように眠っていて、私の生を見守ってく

れるまなざしのように思えるのです。「瀟湘八景」と「越後十景」は私にとって懐かしく特

別な思い出の絵画となっています。

 年齢を重ねたせいか私の思い出袋は只今膨れ上がるばかりです。