コロナ禍で生活していると外とのかかわりが少なくなるので自分の心探しをする時間が

増えていくように思える。思い出巡りが格好の時間となっている。私の年齢になると思い

出が多くなり、その中でも覚えているものと忘れているものがまじり合って時は過ぎてい

る。


 しかし、ふとした出来事で、過去が私に握手をしてくるような思いに駆られることがあ

る。その一つの出来事を記してみたいと思う。歌舞伎役者の中村吉右衛門が昨年の11月に

逝去された。ほぼ私と同世代の77歳であったことを知った。まさしく、吉右衛門の死は私

の思い出の一つを蘇らせてくれたのである。~太宰治の作品集より~「太宰治の生涯」と

銘打った、作品を通した太宰の生涯の芝居を東京の芸術座で見たことがふいに思い出され

た。昭和四二年の公演で太宰治役は中村吉右衛門であった。演じる役者は吉右衛門を襲名

したばかりで初の現代劇出演であったようだ。演じる吉右衛門も見る私も20代の若さで

あった。若いころは太宰文学に引き付けられるものであるが私もそんな生きにくさを感

じていた時期であったのだと思う。公演の中で、作品「津軽」からの場面があった。太宰

を三歳から八歳まで育てた女性「たけ」に太宰が会いに行く内容がとても印象に残ってい

る。病弱だった母代わりに太宰の幼少期を慈しんでくれたのが女中「たけ」であった。本

を読んでくれたり、昔話をしてくれた「たけ」への母性を求める旅であり、故郷を知る旅

でもあった。それが作品「津軽」である。この作品からは、素の太宰を感じられたのであ

る。見る私には「たけ」役の三益愛子と吉右衛門の演技に心動かされ、無性に涙があふれ

たことを思い出された。吉右衛門について逝去された後知ったことだが四歳にして吉右衛

門は「播磨屋」の養子となり歌舞伎への苦しい精進をしたそうである。「播磨屋」は実母

の生家であったという。太宰の「たけ」への思いと同様の物が吉右衛門の内部にもあり、

その思いが見る私にも伝わってきたのだろうかと今にして思われるのである。太宰の思い

出つづりはまだ続いていくようだ。

今から一〇年は経っているのだろうか。「White Letter 」の同人四人で文学散歩をした。

同人の田村きみたかさんが企画して三鷹にある禅林寺の太宰治のお墓を案内してくれたこ

とがあった。若い人に人気がある太宰の命日の「桜桃忌」の時期ではなかったので静かにお

参りができた。また同寺にある森鴎外のお墓もお参りすることができた。更に太宰が山崎富

栄と入水自殺したという玉川上水沿いを四人で歩いたことが思い出された。太宰が亡くな

ってからの長い時間の経過で風景も変わっただろうと思われた。しかし、玉川上水沿いに

「エゴ」の大木があり茂るように小さな白い花がたわわに咲いていた。感情移入であろうが

太宰のつぶやきのように思え、その白の美しさを見上げながら通り過ぎたことが蘇ってく

る。田村きみたかさんを先頭に佐藤真理さん、高安義郎、私の四人にとって、それぞれの思

い出深い散策となったことが懐かく、田村さんに感謝したい思い出となっている。その後同

人の佐藤真理さんは青森県金木にある太宰治の生家「斜陽館」を訪れたことを知った。私は

いまだ訪れる機会がないままである。このように、思い出をまさぐることは、自分の心の

「なごり雪」を捜しているようにも思えてくる。そういえば、太宰の作品「津軽」の本文に

入る前ページに津軽の雪という題名があり  こな雪 つぶ雪 わた雪 みづ雪 かた雪
 
ざらめ雪 こほり雪 と雪の種類が記されていたことが蘇ってきた。私のなごり雪は勿論そ

の中には含まれてはいない。コロナの時期だからこそ、津軽の雪の種類になごり雪も加えて

私の懐かしさを上乗せさせてみたくなってきた。そうすることで雪景色が思い出の中を広が

っていくように感じた。

 思い出にふけりながら窓の外を見やると庭の餌台にはヒヨドリが餌をついばんでいる。

雀はボケや梅の木にとまりヒヨドリが飛び去るの待っている。体の小さな雀は絶えずおど

おどして餌をついばむのである。このような僅かな時間経過を知らせる一コマでも、何故か

今日を生きている証のように思え、愛おしくなってくるのである。また、朝、雨戸を開けた

途端、裸木となった冬の欅の背後から昇る朝日の輝きは、まさしく「覆された宝石のやうな

朝」(西脇順三郎作品 天気より)とうたわれたことが思い出され、まぶしさと神々しさが

交り合い生命の喜びを感じさせてくれる一コマである。このように今ある小さな出来事と思

い出を交差させながら格別なことはないまま、コロナ禍を過ごしている。しかし、これから

の日常はコロナ前の日常とは異なってくるかもしれないが、同人の皆と心置きなく語られる

例会を心待ちにしているの私である。           

              



                   


                                    

随筆

コロナ禍の日々

高安ミツ子